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当初は電話局内に設置されていた公衆電話

当初は電話局内に設置されていた公衆電話であるが、1890年(明治33年)に新橋駅と上野駅に設置された。設置場所は新橋は中等待合室前、上野駅が駅長室前であった。この公衆電話は通路に置かれたものであった。電話ボックス型の公衆電話は同年に京橋に設置された六角錐型のものが初見である。当時の公衆電話は自働電話と称されたが、交換手に通話接続を依頼し、必要に応じて10銭または5銭硬貨を投入するものであった。硬貨投入の確認は10銭硬貨は鳴鐘、5銭硬貨はゴングを鳴らし、交換手がその音を聞いて投入を判断するというものであり、終戦後までの50年間にわたって踏襲されることとなった。通話料金は市内1通話5分で15銭と定められたが、一般の電話回線の通話料が定額制であり、商家などでは電話を顧客に無償で利用させることで顧客誘致を行っており、当時最低限の生活ができる15銭では通話利用者が伸びず、まもなく5銭に値下げしている。
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1920年(大正9年)、一般加入電話に1通話2銭の従量制通話料金が採用されると、一般加入電話の通話料が激減し、公衆電話の通話料が急激な伸長をみた。1925年(大正14年)にはダイヤル自動方式が採用され名称に混乱を来たすとして自働電話が公衆電話と改称さた。

明治大正と発展を続けた公衆電話であるが太平洋戦争で都市が空襲を受けると、壊滅的な被害を受けるとことなった。

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2009年08月18日 13:59に投稿されたエントリーのページです。

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