貨幣数量説の議論は、文献の上ではジャン・ボダン、ジョン・ロー(1705)のreal bill(真手形)ドクトリン、カンティリョン(1732 or1755)のエッセイに端緒を発する。古典派の啓蒙思想においては貨幣の中立性が強調され、国富の増強は生産能力の増強や市場の整備などによるべきであり、貴金属の他国からの掠奪や金鉱の開発など「貨幣そのものの増大」を目的としても意味がないとする。
しかし貨幣の本質に対する経験と洞察が進められ、単に貴金属の備蓄量ではない「通貨」の本質が明らかになるにつれ、古典的な貨幣中立説は批判を受ける事になる。1800年代前半のイギリスにおける金塊主義論争がこれである。
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金塊は持ち運びや決済の便利のため、両替商(BANK)に預託してその引換証(銀行券)を取引の代価にすることはすでに一般化しており、その引換証をBANKに一定期間預託し別の借り手に貸し付けることで利息を受け取る契約(仲介)も一般化していた(貯蓄銀行による信用創造)。このため両替商がカルテルを組み、特定の攻撃対象となるBANKの引換証を意図的に収集し、突然その全量の引換を要求して破綻させる行為が横行していた。1765年までスコットランド法は緊急の場合の金塊への引換を制限していた。またフランス革命直後の1797年には英国政府は英仏戦争の激化を背景にイングランド銀行の一時的な兌換停止措置を取る。